2020年3月17日、ひとり大阪からアムステルダム経由でドイツへ戻りました。
あの頃、日本では学校は休校になり、感染者が増えつつあったもののまだまだ余裕のある状態で、オリンピックもなんとか開催できるのではないかという淡い期待が残っていました。
しかし、各国が渡航制限を厳しくしていく中、ほとんどの外国人旅行者が自国へ引き揚げてゆく局面だったように思います。
ドイツでもちょうどこの前日から国境封鎖に踏み切り、空路での移動も段階的に縮小される中でのドイツ帰国便になりました。
ドイツに戻って来た時の顛末はこちら↓に書きましたが、いよいよ国境が閉じられる、その寸前に飛んだ、この搭乗はなかなかに珍しい状況であり、忘れてしまう前に記録に残す事にしました。
利用者激減の関空から
この時、日本へ入る為の入国制限のあった国はそんなに多くはありませんでしたが、日本からの渡航制限をかけている国は多く、観光で海外へ向かう人も、海外から訪れる人も少なく既に関空は閑散としています。
ここ数年の関空の混雑を考えると、信じられないくらい人が少ない。
出国ロビーで見た感じだと、自国に帰ろうとする外国人観光客が1割、日本に出稼ぎに来ている外国人労働者とその家族、日本人配偶者の家族が7割、それ以外って感じでしたね。
“今から海外旅行に行きます!“という日本人はほとんどいなかったと思います。
先にドイツに帰った夫と子ども達の便が運休、変更になっていたこともあり自分の便がちゃんと飛ぶのか不安でしたが予定通り運航されるとの事でまずはひとつクリア。
続々と国境を閉じていくEU諸国
今回のフライトで経由するアムステルダムはヨーロッパでも最大級のハブ空港で、オランダのみならず、他のEU国へ帰国する人たちが使う路線として、この時もたくさんの乗り換え目的の乗客がいました。
搭乗口では念入りに査証の確認がなされます。
EUのパスポート保持者でもなく、EUに滞在するための何らかの許可証を持っていない人は職員にヨーロッパに向かわないように説得を受けていました。
それでも強制ではないので「もし入国できなければその時は自腹で帰って来ます。全て自己責任です。」とスペインに向かう予定の女性が強硬に搭乗していきました。
スペインはまだ日本からの渡航制限はかけていなかったけれど、封鎖されている地域はあったし、移動の制限はかなり厳しく、到着してすぐに隔離される可能性も高いとのことでした。
まず、EU入境のアムステルダムの入国審査で厳しいのではないかと思ったんだけど大丈夫だったのかな、あの無理やりスペイン行っちゃった人。
そうなんです、この3月17日からドイツは渡航制限を実施していて、私 家に帰れるんかなぁ? ってかなり不安だった。
アムステルダムだかフランクフルトだかの空港で2週間も留め置かれたらどうしよう!
他人のきわどいバトルを目前に見てしまい、ドキドキしながら搭乗口に行ったら普段と変わらずにすんなりゲートを通してもらい『だ、大丈夫だよね?このまま飛んでも日本に送り返されることないよね??』とめちゃめちゃ心配になる。
子どもが待っている自宅に帰れなかったら、私も空港でスト起こす!くらいの覚悟でした。
だから、日本に帰国したい日本人やその家族が外国に取り残されて困っているといったニュースを見た時は、不安な気持ちがよく分かったし、家族が離れ離れになってしまうのはまずいよね。
普段、日本のパスポートを持って海外旅行していたらほとんど感じる事のない不安と先行きの見えなさに『今、確かに世界は危機の中にあるんだな』と実感しました。
エコノミーでも3席占有の11時間
搭乗率は4割未満。
私は翼の上の窓側3席をひとり占め出来る座席でした。
長距離路線だから密じゃなくて良かったよ。エコノミーなのに横になって眠れる、っていうのもだいぶ嬉しい。
乗客のほとんどが欧州人でしたが、マスク着用率はかなり高かったですね。マスク付けてない人が目立つくらいに。
もちろん私もマスク着用です。
機内って乾燥するから、長距離は必ずマスクするんだけど今回初めて『えっ??』っていう目で見られることが無かった。
CAさん達はマスクしている人がいなくて、どちらかと言うとハイリスクな方の仕事なのに、オランダ人はよっぽどマスクしたくないんだな。
マスクも大事やけど、手洗いはもっと大事やで!という事で、トイレに近い席で頻繁に手を洗うことが出来たのは良かった。
『あの人、頻尿・・・?』って思われるくらいトイレ行きました。
離陸後は頭痛との闘い
すんなり関空を離陸したKLM868便は進路を東に向け名古屋へ。
名古屋上空で機首を北に向け、日本アルプスの上を飛行します。この時、遠く、雲の上に富士山が見えました!
スマホで撮ったけど、空、雲、富士山全てが白かったので写真にはうまく残せませんでした。上の写真を拡大したら小さく写っています。
他に気が付いている乗客がいないみたいだったから「みなさま~!右手に富士山が見えますよー!」って叫びたかった。
アルプスのスキー場もバッチリ見えて、もう眼下の眺めに夢中(笑
これは上越市かな?新潟かな?長野と違い平地にも雪が積もっていますね。
このまますぐに日本海に抜けて、さよならー我が祖国。次に行けるのはいつになるんだろうねぇ。
普通に年に一回も帰国しないのに、渡航制限となるとまるで頻繁に行き来している人みたいにこの状況を嘆く。
暫くして、食事のサービスが始まりました。
それと同時に、私の頭痛も始まった。
長距離の飛行機に乗ると毎回出現する偏頭痛、これは間髪置かずに薬を飲むのが一番いい。という事を学んだので、すぐにノーシン服用。
ただでさえ苦痛の多い、長距離エコノミー飛行で我慢はいかんよ。
頭は痛くても、腹は減る!
メインはチキンのホワイトソースとポテト、茹で野菜でした。
クラッカーにチーズ、サラダと甘ったるいチョコケーキ。パンは美味しい。
うん、オランダだね。って味でした。
食事が終わったら、3席分を利用して横になります。
頭が痛い時はできるだけ睡眠を取らないと、後でえらい事になるからね。眠るためのお薬服用でもあるし。
関空の100円ショップで買った、蒸気でアイマスクを付けて、口に普通のマスクを付けて寝るぞ。
乗客が少ないとこうしてある程度自由に過ごせるから、ホントいいわ。
頭が痛いから熟睡は出来ません。
ちょっと顔を上げたらシベリアの上空を飛んでいて、うねうねの大河がナショナルジオグラフィックみたいで感動的だったけど、だいぶ暗くなっていたのと頭が痛すぎて写真は撮れてないです。
すごいな、シベリア『悠久の大地』みたいな顔してる。
睡魔が頭痛に勝てないので、もういっちょう薬を飲んで、ついでに水もたくさん飲んで、枕と毛布を窓の下に積み上げ、足をあげて立膝のあおむけで横になると少しはいい塩梅。
途切れ途切れに3時間くらいは眠れたか。
やっぱり頭痛に起こされ、諦めて映画を見る事にしました。
おっ!ジョーカーやってるやん♪
『パラサイト』もありましたが、少し時間が長かった。
ジョーカーを見ている間に、2回目のお食事タイムになりました。
ライスにかかっているのはチーズです。
機内食への期待値を良くも悪くも裏切らない味ですね。
頭が痛いから、食べられれば充分です。
ジョーカーが終わる頃、ちょうどアムステルダムに到着しました。
【乗り換え】アムステルダム・スキポール空港
アムステルダムで、フランクフルト行きの便に乗り換え。
スキポール空港もいつもよりずっと人が少ない。
預け荷物はそのままフランクフルトに行くので、ここでは乗り換え、EUの入国審査だけです。
もし、ドイツに渡航できないとしたらここで止められるんだよなぁ。
セキュリティーがかなり厳しく、はじかれている家族連れなどが別室の前に団子になっていて緊張して審査場に並んだけど、入国審査はあっけないほど無言で瞬時にスルーできました。はぁ 良かった。
これで、ドイツに帰れる。
次の便の搭乗口へ向かいます。
なんかトイレ行ったりしてたら、搭乗時間ギリギリだった。危うく駆け込みました。
KLM アムステルダム⇒フランクフルト
やっべー!今帰らんと、ドイツ帰れん!! って人が多かったのかどうか、搭乗率は8割ほど。
こちらは旅行帰りみたいな若い人が多かったですね。
EUの中なら、他国で学校に通学している人や仕事をしている人も多いから今この国境が閉じられる時に、ドイツに帰ろう。って人も少なからずいたんだと思います。
アムステルダムからフランクフルトってホント近いです。
アムステルダムの土地の低さが良く分かりますね空から見ると。
機内ではトルティーヤみたいなのにチーズと野菜がくるまった軽食がサービスされました。
自販機とかで売ってそうな味だったけど、そうか、オランダでは自販機で売ってるのってコロッケとかだもんなぁ、こんなサンドウィッチ系も自販機で売ればいいのに。
食べ終わったらもうすぐ目的地に到着 のアナウンス。
フランクフルトのスカイラインが見えてきました。
無事、到着!
ドイツに帰ってきたーー!
空港ではマスクしてる人をたくさん見たけど、そこから先はいつも通りの光景でした。
ただ、人がだいぶ少ない。
花粉症でくしゃみがめっちゃ出るので、私はマスクをしたまま自宅に戻りました。
自宅に到着したのが夜遅かったから子ども達はもう寝ていたけど、もしかしたらすんなり帰れないかもしれない、という気持ちがあってまた会えた事が本当に嬉しかった。
よく戦争映画やドキュメンタリーなどで開戦直前に避難する人々の映像が流れ、タイミングが間に合わず離れ離れになってしまう家族や恋人同士が描かれるけど、その渦中にいる人たちの焦りや不安を疑似体験したようでした。
EU圏内の人々は今や国境の観念は薄く、国をまたいで通学、通勤していたり、家族が国境を挟んだ地域に暮らしていたりします。そんな生活が浸透している中での国境閉鎖。
どこかの国でこのコロナ危機を『戦時下』と形容しているとおり、EU各国の国境が閉じられていく中、慌てて帰る人、脱出する人、留まる人、多くの人が選択を迫られた瞬間でした。
結果スムーズにドイツに戻ってくることが出来たけど、もう少しタイミングが遅かったらどうなっていたことか。
今から思えばギリギリセーフのドイツ帰国でした。
現在、ドイツでは制限緩和を段階的に進めていますが、日本との渡航制限は続いています。
日本でも外国からの帰国者に検査と2週間の隔離を要請しています。実質、旅行で行き来することは出来ないという事です。
一日も早くコロナが収束して、以前のように自由な渡航が出来る世界を渇望しています。