実は私がハンブルクに行ったのは、今回が初めてではありません。
長男がまだ歩き始めたばかりの頃に夫と共に訪れています。
その時も5泊ほど滞在したのですが、全くいい思い出がないのです。というか、地獄でした。
理由は夫と一緒だったから。
としか言いようがありません。
今回は、ハンブルクに対して良い印象が全くなくなってしまった2011年夏のハンブルク子連れ旅行の事を書きます。
ほぼ、夫への愚痴です。子連れ旅行の失敗談として読んでいただけたらと思います。
夫が青春時代を過ごした街 ハンブルク
夫は10代の時に、1年半ほどハンブルクに住んでいました。
鉄道も無く、パン屋と野菜の直売をしている農家くらいしかお店のないド田舎(現在、私達が暮らしている所)で生まれて育った夫にとって、最も多感な年齢に大都市ハンブルクで過ごした時間はきっと刺激に満ちて、新しい発見の連続だったと想像します。
彼の人生に大きく影響した、濃ゆーいハンブルク時代。
現在でも多くの友人、知人が住んでいて、夫にとっては思い出深い街なのであります。
2011年夏、1歳児を連れて訪れたハンブルク
その夏は義弟がバルト海で働いていたこともあり、ベルリン、バルト海、ハンブルクと北ドイツを車で巡る旅に出ました。
その道中で既にいろいろあったのですが、旅の最終地ハンブルクでは特に酷かった夫とのアレコレ。
今、思い出してもゲロ吐きそう。
夫の友人E氏の暮らすシェアアパートに泊まろうとする
ハンブルク滞在でも、友人宅に当たり前のように泊まろうとする夫。
その時、宿泊先に決めたのは独身男性が2人でシェアするアパートでした。
床には割れたガラスが大量かつ無防備に置かれているし、たばこの吸い殻が大盛になった大皿が低いリビングテーブルの中央にデンッと乗っかっているし、トイレは中世時代のままみたいな使い方の分からないトイレでした。
私は潔癖症ではないので、多少散らかっていても気にならない方だけど、そういった環境で落ち着けるか。って言ったら落ち着けないよね。
落ち着けないし、リラックス出来ないし、眠れないし、早く帰りたい。
小さな部屋だけど1歳児にとって危険極まりない場所で、長男にとっても落ち着く環境ではなかったらしく、全く寝てくれず夜中に自分たちの乗ってきた車に移動しました。
車中泊なら寝てくれるかとも思ったのですが、交通量の多い通りに駐車するしかなかった為、車でも眠れず、げんなり。
これは友人E氏は全く悪くないんです。独身男性が1歳児に必要な生活環境を理解できるわけないし、また理解しなくてもいいし、彼の生活に踏み込んでいっているのは私達だし。
夫が悪い。
1歳児の父親としてその友人宅がどれほどマッチしないかと想像力を働かせられなかったのも酷いし、私と長男の事にもっと興味を持て。
友人E氏にもそのシェアメイトにも大変ご迷惑をかけました。
夫の聖地巡礼はひとりで行って欲しかった
ハンブルク滞在中は夫が10代の時に過ごした思い出の地を巡る事となりました。
私は一般的な観光コースでも良かったけどね。嘘です、それは後で思いました。そもそもハンブルクについて予備知識0だった私。『海の物が美味しいだろうから、なにか美味しい魚料理が食べられたらいいかなぁ』くらいにしか考えていなかった。
それが安易に夫についていくだけのハンブルク滞在に繋がります。
その時はまだ夫に期待していたのです。
元在住者に案内してもらうのが何より一番いい観光案内だろうと・・・。
まず連れて行かれたのは、依存症患者やホームレスの人の為のケアハウス。
そこにカフェが併設されていて、寄付名目で軽食を頂ける場所でした。
そこで出される食事は、食材も寄付されたあり合わせで作っているので、まぁ何回も食べたいと思えるような味では無かったです。
寄付はするから、食事は遠慮します。と思った。
Vegan料理なので味覚がぶっ壊れている夫にはいいかもしれません。
私の魚料理の夢はいつ叶うのか?
いろいろ問題のある人の為のケアハウスで、民間が運営しているので建物内もなかなかにカオスでした。
怪しい煙が室内に充満しているわ、各部屋の入り口は消毒剤でも消すことの出来ない排泄物の匂いとシミが広がっているわ、木製の階段は一段おきくらいに踏み抜けているわ、建物全てに昔のNY地下鉄ばりの落書きが施されていて、これぞ世紀末。
早く帰りたい。
ここに1歳児って合うと思う? 夫よ。
その後は、夫のハンブルクの友人たちが集うパンクコンサートイベントへ。
汚ったないビルの合間にある、汚ったない原っぱの一角で開催されているイベントで、来場者がほぼ全員、全身タトゥー、全身ピアス、スタッズで埋め尽くされた黒ずくめの服、笑うともれなく歯がボロボロという、ジャーマンパンクの集会でした。
座る所は無く、みんな立ってビールを片手に話し込んだり音楽を聴いたりしてるんだけど、私は下戸。食フェスは大好きだけど、飲むだけの場所は全く居心地が悪い。
そして抱っこマンだった1歳長男。
夫に抱っこして欲しくても夫の手にはビール。
私が常にグネグネ動く1歳児を抱っこして、2時間くらい何も飲まず食わずで立ってました。
早く帰りたい。
ここに1歳児って合うと思う? 夫よ。
次の日は夫がハンブルク時代にバイトしていた職場訪問。
もうどこだったか忘れてしまったけど、バスを乗り継いでけっこう遠くまで行ったと思う。
そこは広い自然公園のような場所で、公園内の交流センターみたいなところでティーン世代の子ども向けにクラフトワークや自然観察などの補導員をやっていたんだって。
訪ねて行った日は日曜日だったかで、夫の職場だった事務所は閉まっていました。
元同僚に会えなくてがっかりする夫。
朝から不安定だったお天気がいよいよ本降りになり、気が付けば土砂降りに。
そんな状況で「せっかく来て誰にも会えなかったし、一度君たちに見せたいと思っていた美しい場所があるからそこに行ってから帰ろう」と夫。
誰にも会えなかったのは夫が事前に連絡をしていないのが悪いし、この大雨の中どこに行こうと言うのだ。
夫:「大丈夫!歩いて5分くらいの所だから」
ついてゆく素直な私。
20分程歩いて到着したのは、まわりがドロドロにぬかるんだ沼でした。
そら『金の斧、銀の斧』の女神が出てきそうな綺麗な池も、こんだけ雨が降ったら増水して水木しげる先生の妖怪たちが跋扈しそうな沼になるわ。
っていうか、命が危ない。
避難や!退避! 増水した河川、池、沼には近寄ってはいけません。って習わんかった?
ここに1歳児って合うと思う? 夫よ。
その次の日はもうどこにも行きたくなかった私。夫とは。
しかし彼が言うには「僕がいつも参加してたサークルの集まりがあるんだ、今から行こう!」と
嫌な予感しかしない。
その集まりとは、廃棄された食料を集めて料理して食べる活動をしているグループでした。
そのグループの一人、金髪ドレッドの女性と合流してまず食料ハンティングに街を巡回します。いくつかのチームに分かれて食料を集めた後、その金髪ドレッド姉さんの自宅にみんなで集まって調理して食べるそうです。
日本でもあるよね、まだ食べられる食材を破棄する前に受け取って再利用する活動してるグループとか。
その理念は分かる。
けれど、汚ったない路地裏のゴミ箱から真っ黒になったキャベツを大切に回収した所で私は帰りました。
軽くパニックになってたので、あの時夫も一緒に離脱したのか覚えていません。
長男抱えて逃げた。
あの路地裏、ネズミが走り回とったやんか!
ここに1歳児って合うと思う? 夫よ。
とにかく他にも、ドイツ随一の風俗街『レーパー・バーン』や、昔お世話になった警察署などを巡礼する夫。
子どもを守らないといけない。と必死な母性本能をやたらと刺激してくるのはなぜだ?
思想、信念など関係なく
私はVeganだろうが、パンクだろうが、食材廃棄を憂えるエコロジストだろうが、どんな思想、信念も否定する気は全くありません。
好きにしたらいい。私も好きにするから。
ただこの時、ハンブルク滞在を家族3人で楽しく過ごしたかった。
私の中で夫に対して期待もあったし、甘えもあったし、何よりまだよく分かっていなかった。
こんなにも価値観が違うなんて驚きでした。
正直、『この人とはもう無理かも』と本気で思いましたよ。
その後、辿りついたのがココ↓
あれから8年
東日本大震災で傷ついた日本中が必死に立ち直ろうとする中、女子サッカーワールドカップがドイツで開催されて、ハンブルクでなでしこジャパンの優勝を喜び、家族崩壊の危機を迎えていた2011年夏。
家族は今も崩壊せず、1人と1匹メンバーが増えて、またハンブルクに行く事になりました。
これ読んだら、あんまり成長していない私達夫婦の関係に気が付いた。
さて、今回の子連れハンブルク旅行はどうなったでしょうか。
私は念願の美味しい魚料理にありつけたのか?
次回からようやく本編が始まります。